巨大望遠鏡
- 2014/06/29
- 22:45
マウナケアには直径8mの巨大反射望遠鏡がある。そのほかにも、世界中を見渡すと、巨大な望遠鏡が設置されており、宇宙の果てまでを見通している。我々素人が持つ望遠鏡とは異次元の世界を見せてくれる。しかし今日はそうしたハイテクの、贅を尽くしたようなものではなく、我々素人が手にすることの出来る範囲での『巨大』望遠鏡について少しだけ薀蓄をたれよう。
今から半世紀ほど前、私が天体観測にある程度興味を持った頃、中学校の科学クラブの備品にニコンの6cmΦの屈折望遠鏡があった。ご存知のとおり、天体を観望する際に像が倒立していてもあまり困ったことにならないので、対物レンズとして2-3枚の、全体としては凸レンズとなるレンズ群を配し、接眼レンズも全体として凸レンズとなるレンズ群を置いて、倒立像を観測する。レンズが複数になるのは、光の色による屈折率の違いから来る像の色にじみを軽減するためだ。私は中学校に入学する前、祖父の老眼鏡に虫眼鏡を組み合わせて倒立像を観測する望遠鏡を自作していたが、すべての像の輪郭に虹のような光のにじみができていて、とても見辛かった。
当時はアクロマートと称して二つの色で収差が補正されたものが、高級望遠鏡のレンズとして装備されていた。もちろんニコンの天体望遠鏡はアクロマートだった。仔細に観察すれば、わずかな色のにじみは認められたのだろうけど、当時の私の目には、単レンズによる粗末な手作り望遠鏡を見たあとだから、ものすごくクリアで何の滲みも無い像が眼前に現れた。架台は赤道儀。当時の品だから電池による駆動方式ではなく手動だが、星が視野から逸脱しないように追いかけるに当たって、一軸を操作するだけでよいと言うのは圧倒的に楽だった。
取説など、どこにもなかったのだが、赤道儀のセッティングはすぐ分かった。局軸望遠鏡も装備されておらず、軸を北極星に向けるのはかなり大雑把で、時々二軸ともに修正する必要があったけど、それでもすごく快適だった。当時のニコンの赤道儀が10万円を越えていたように思う。当時の中学生の小遣いがつき1000円もなかったはず(私の場合は500円)で、その中から10万円を捻出するなど、ありえないこと。こうしたしっかりしたつくりの望遠鏡を買うことは考えられなかった。しかし当時もニコン製品の1割強で赤道儀を購入することは出来た。とてもチープなつくりで、学校の望遠鏡を借りて使うほうがはるかに精神衛生上もよかった。
しばらくすると、75mmΦの赤道儀が主流になってきた。70-80mmあたりのアクロマート、そしてタカハシなどからセミアポクロマートの高級赤道儀が出てきた。そのあたりから私はしばらく天体観測から遠ざかっていて、ハレー彗星の少し前にまた天体観望などをするようになった。当時は10cm程度の反射鏡がポピュラーで、少しずつ集光力の大きな光学系が一般的になってきていた。1990年の少し前に、反射鏡、そのセル、斜鏡、スパイダーなどのキットをかなり安く購入して、コンクリートの枠に用いるボイド管を買ってきて、望遠鏡を自作した。反射鏡の直径が380mm、F6の光学系だ。
直径380mmと言うのは当時のアマチュアとしてはかなり大きなほう(少なくとも私の周囲にいる天体観測愛好者でそんな大型望遠鏡の所有者はいない)だった。F6だと、焦点距離が2mを超えるので、高倍率観測になりやすい。しかし自動追尾の赤道儀がないと、高倍率で天体を観測することは実際的でない。そんなこんなで悪戦苦闘している頃に、セレストロン社から350mmのシュミット・カセグレン光学系の望遠鏡が本邦でも入手しやすい環境になってきていた。入手しやすいとはいえ、小型乗用車と同程度の価格だったので、おいそれと買えるものではなかったが、昔のニコンよりも手に入りやすかったように感じたものだ。
自分で鏡を磨いて50cm程度の反射鏡でシステムを組む人もいる。生活のすべてを犠牲にするというのでない限り、そのあたりが個人所有の望遠鏡としては最大のものではないかと思う。西播磨に、兵庫県立の天文台があり、そこに直径2mの反射望遠鏡が装備されている。その望遠鏡の集光力は普通ではない。オリオン星雲のカラーが眼視観測でわかるのだ。これには驚いた。そして、一般市民に眼視観測の機会を与えている天文台としては、世界最大の望遠鏡だとの事。もちろん、各種天体がPC制御で導入できるので、とても楽だし、しかもナスミス焦点を使うので、観測に危険を伴うことが無い。これは子供などに天体を見せるときなど、大きなメリットだろう。
今から半世紀ほど前、私が天体観測にある程度興味を持った頃、中学校の科学クラブの備品にニコンの6cmΦの屈折望遠鏡があった。ご存知のとおり、天体を観望する際に像が倒立していてもあまり困ったことにならないので、対物レンズとして2-3枚の、全体としては凸レンズとなるレンズ群を配し、接眼レンズも全体として凸レンズとなるレンズ群を置いて、倒立像を観測する。レンズが複数になるのは、光の色による屈折率の違いから来る像の色にじみを軽減するためだ。私は中学校に入学する前、祖父の老眼鏡に虫眼鏡を組み合わせて倒立像を観測する望遠鏡を自作していたが、すべての像の輪郭に虹のような光のにじみができていて、とても見辛かった。
当時はアクロマートと称して二つの色で収差が補正されたものが、高級望遠鏡のレンズとして装備されていた。もちろんニコンの天体望遠鏡はアクロマートだった。仔細に観察すれば、わずかな色のにじみは認められたのだろうけど、当時の私の目には、単レンズによる粗末な手作り望遠鏡を見たあとだから、ものすごくクリアで何の滲みも無い像が眼前に現れた。架台は赤道儀。当時の品だから電池による駆動方式ではなく手動だが、星が視野から逸脱しないように追いかけるに当たって、一軸を操作するだけでよいと言うのは圧倒的に楽だった。
取説など、どこにもなかったのだが、赤道儀のセッティングはすぐ分かった。局軸望遠鏡も装備されておらず、軸を北極星に向けるのはかなり大雑把で、時々二軸ともに修正する必要があったけど、それでもすごく快適だった。当時のニコンの赤道儀が10万円を越えていたように思う。当時の中学生の小遣いがつき1000円もなかったはず(私の場合は500円)で、その中から10万円を捻出するなど、ありえないこと。こうしたしっかりしたつくりの望遠鏡を買うことは考えられなかった。しかし当時もニコン製品の1割強で赤道儀を購入することは出来た。とてもチープなつくりで、学校の望遠鏡を借りて使うほうがはるかに精神衛生上もよかった。
しばらくすると、75mmΦの赤道儀が主流になってきた。70-80mmあたりのアクロマート、そしてタカハシなどからセミアポクロマートの高級赤道儀が出てきた。そのあたりから私はしばらく天体観測から遠ざかっていて、ハレー彗星の少し前にまた天体観望などをするようになった。当時は10cm程度の反射鏡がポピュラーで、少しずつ集光力の大きな光学系が一般的になってきていた。1990年の少し前に、反射鏡、そのセル、斜鏡、スパイダーなどのキットをかなり安く購入して、コンクリートの枠に用いるボイド管を買ってきて、望遠鏡を自作した。反射鏡の直径が380mm、F6の光学系だ。
直径380mmと言うのは当時のアマチュアとしてはかなり大きなほう(少なくとも私の周囲にいる天体観測愛好者でそんな大型望遠鏡の所有者はいない)だった。F6だと、焦点距離が2mを超えるので、高倍率観測になりやすい。しかし自動追尾の赤道儀がないと、高倍率で天体を観測することは実際的でない。そんなこんなで悪戦苦闘している頃に、セレストロン社から350mmのシュミット・カセグレン光学系の望遠鏡が本邦でも入手しやすい環境になってきていた。入手しやすいとはいえ、小型乗用車と同程度の価格だったので、おいそれと買えるものではなかったが、昔のニコンよりも手に入りやすかったように感じたものだ。
自分で鏡を磨いて50cm程度の反射鏡でシステムを組む人もいる。生活のすべてを犠牲にするというのでない限り、そのあたりが個人所有の望遠鏡としては最大のものではないかと思う。西播磨に、兵庫県立の天文台があり、そこに直径2mの反射望遠鏡が装備されている。その望遠鏡の集光力は普通ではない。オリオン星雲のカラーが眼視観測でわかるのだ。これには驚いた。そして、一般市民に眼視観測の機会を与えている天文台としては、世界最大の望遠鏡だとの事。もちろん、各種天体がPC制御で導入できるので、とても楽だし、しかもナスミス焦点を使うので、観測に危険を伴うことが無い。これは子供などに天体を見せるときなど、大きなメリットだろう。
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