へき地医療の抱える問題
- 2018/01/25
- 06:28
私が現在の勤務地で院長家業に精を出し?て4年。そろそろ、この勤務地を辞すべき時だと考えている。同じところに長期間留まってマンネリ化するのを避けるべきだと思うに至ったことも理由の一つ。自治体によって、医師に対する向き合い方や要求の内容が違うのだろうけど、私は病院長として地域の医療全体について自治体に提言してそれを実現していくというビジョンは持ち合わせていない。そういったことに時間を使うのであれば、診断技術の向上にでも使ったほうがいいと考えてしまうのだ。自治体の要求に沿って、メクラ判を押すという仕事にはほとほと嫌気がさした。
やはり私にはこうした仕事は向いていないようだ。もちろんそういった点に関心を持たず、病院にやってくる患者だけを診ておけばよいと言われればそうかも知れないが、へき地高齢者の疾患の多くはライフスタイルと直結しており、効率よく、そして経費節減を目指しながら診療を進めるためには何らかの形で行政に介入せざるを得ないようにも思う。その介入がなんともおっくうで、今一歩踏み出せないのだ。やはり糖尿病や高血圧の患者さんに食事指導をしたり、腰の痛い人にトリガーポイント注射をしたり、膝関節にヒアルロン酸を注射するといった仕事の方がはるかに楽しい。
もう、公務員としての勤務年限は過ぎているので、定年になって辞めるのは何ら不自然ではないのだが、一方では、残していく患者さんたちのことを考えると、後ろめたい気持ちが残る。この地で彼らを最後まで看取るという契約を交わしたわけではないのだが、私の心もとない臨床医としての腕を頼りにしてきた人たちに、死に水を取ってやれないことが心に引っかかる。腰痛、坐骨神経痛、変形性膝関節症、頚肩腕症候群、耐糖能低下、高血圧など別に私が見る必要もない訳だが、代わりの医師が見つかるかどうか、その点は疑わしい。
過疎地の自治体にとって一番の問題は医療支出だ。自治体の総予算のうちで医療に占める比率が自治体の存続を脅かすほど大きいのだ。それにもかかわらず、このところ進んできた医療の資本主義化のために、過疎地ではかなりの給料を提示しないと医師が集まらない。そういう意味では過疎地に効率的な収入の手段となる産業が無いということが最大の問題だ。高額収入を得ることのできる産業があれば、税収が増え、医療行政に割く割合が比較的小さなものになる。過疎地では人口が少ないので患者数も少なく、比較的のんびりと仕事をしていくことができる。活性化で多少忙しくなっても都市部よりも暇な生活を楽しむことができる。
しかし過疎地の人口構成は高齢者中心となっており、新しく産業を興すと言った活力が生まれるとは考えにくい。このまま過疎地から人口が逓減していき最終的に無人化するのは我が国の治安や防衛の観点からみても好ましくなかろう。無人化した後で、そこに何らかの監視のための人員を配置するより、その地域に人々が住み着いて、お互いの健康を確かめ合って、里山を管理し、不審者の侵入に備える(これには田舎の閉鎖性を利用させてもらう)方が、大幅に安上がりだ。そこに配置した人員に給料を払うより、そこで生活している人たちから税金を取る方がもちろん国家財政にとって有利だから。
尖閣列島問題が頭の痛いことになったのもそこが無人になったことによるのではなかったか。大企業や霞が関の目先の利益のみを追求しながら政策を立案していると、いつの間にか我が国の過疎地に異邦の人たちが住み着いていたなんてことにならないとも限らない。決してあり得ない話ではないと思うのだ。
やはり私にはこうした仕事は向いていないようだ。もちろんそういった点に関心を持たず、病院にやってくる患者だけを診ておけばよいと言われればそうかも知れないが、へき地高齢者の疾患の多くはライフスタイルと直結しており、効率よく、そして経費節減を目指しながら診療を進めるためには何らかの形で行政に介入せざるを得ないようにも思う。その介入がなんともおっくうで、今一歩踏み出せないのだ。やはり糖尿病や高血圧の患者さんに食事指導をしたり、腰の痛い人にトリガーポイント注射をしたり、膝関節にヒアルロン酸を注射するといった仕事の方がはるかに楽しい。
もう、公務員としての勤務年限は過ぎているので、定年になって辞めるのは何ら不自然ではないのだが、一方では、残していく患者さんたちのことを考えると、後ろめたい気持ちが残る。この地で彼らを最後まで看取るという契約を交わしたわけではないのだが、私の心もとない臨床医としての腕を頼りにしてきた人たちに、死に水を取ってやれないことが心に引っかかる。腰痛、坐骨神経痛、変形性膝関節症、頚肩腕症候群、耐糖能低下、高血圧など別に私が見る必要もない訳だが、代わりの医師が見つかるかどうか、その点は疑わしい。
過疎地の自治体にとって一番の問題は医療支出だ。自治体の総予算のうちで医療に占める比率が自治体の存続を脅かすほど大きいのだ。それにもかかわらず、このところ進んできた医療の資本主義化のために、過疎地ではかなりの給料を提示しないと医師が集まらない。そういう意味では過疎地に効率的な収入の手段となる産業が無いということが最大の問題だ。高額収入を得ることのできる産業があれば、税収が増え、医療行政に割く割合が比較的小さなものになる。過疎地では人口が少ないので患者数も少なく、比較的のんびりと仕事をしていくことができる。活性化で多少忙しくなっても都市部よりも暇な生活を楽しむことができる。
しかし過疎地の人口構成は高齢者中心となっており、新しく産業を興すと言った活力が生まれるとは考えにくい。このまま過疎地から人口が逓減していき最終的に無人化するのは我が国の治安や防衛の観点からみても好ましくなかろう。無人化した後で、そこに何らかの監視のための人員を配置するより、その地域に人々が住み着いて、お互いの健康を確かめ合って、里山を管理し、不審者の侵入に備える(これには田舎の閉鎖性を利用させてもらう)方が、大幅に安上がりだ。そこに配置した人員に給料を払うより、そこで生活している人たちから税金を取る方がもちろん国家財政にとって有利だから。
尖閣列島問題が頭の痛いことになったのもそこが無人になったことによるのではなかったか。大企業や霞が関の目先の利益のみを追求しながら政策を立案していると、いつの間にか我が国の過疎地に異邦の人たちが住み着いていたなんてことにならないとも限らない。決してあり得ない話ではないと思うのだ。
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